「砂利塚クリーン」は、夫婦で営んでいる、民間の小さな廃棄物処理業者。
今日も汗水たらして処理をする。
命の危険も顧みず処理をする。
そんな砂利塚クリーン、処理に困る問題が山積み。
さて、砂利塚さんご夫婦は、あうんの呼吸で処理できるのか…。
芝居の脚本は、その時の自分のおかれた状況が如実に反映される。
前回「湯煙の頃に君を想う」は、3月の大震災で混乱する日々の中書いた。
暗いニュースがあふれてるからこそ、最高に明るいストーリーをと強く意識していた。
今回「砂利塚アンリミテッド」では、6月早々に台本第一稿があがった。
「夫婦の話」であった。
荒削りだったため、推敲をしなければならない。
書き直した脚本は、ある事が強く反映され「家族の話」になっていく。
母が手術をしたのだ。
岐阜にいる母から、手術をすると告げられたのは7月初旬。
8月のはじめに手術を行った。夏は、東京から毎週のように岐阜に帰り、
実家で家族と過ごす時間が増えた。
庭で野ざらしにされていたホチキス旗揚げ公演の時に作った小道具の椅子が、
シロアリの巣になっていて、火あぶりで駆逐したり、
なつかない甥っ子に、さまざまな心理作戦で手なずけたり、
地デジ切り替えのタイミングで、HDレコーダーを電気屋で恐ろしく値切ったり、母に、
家族との時間を楽しんででもらおうと勤めた。
「夫婦の話」だったが、まぁしかたないか・・・。と思っていた。
手術は成功。私は術後、すぐに母の病室に行った。
命を左右する手術ではないとはいえ、さまざまなパイプが体に通り、
全身麻酔で眠る身内の姿はやはりあまりいい光景ではなかった。
しばらくして目が覚めた母。どう声をかけようかと思っていたら、
母から口を開いた
「車を買い替えないといけないのよ。」
なんのこっちゃ。
姉に聞くと、手術に行く時に、車から変な音がして、ずっとこの車は寿命だ寿命だと言っていたらしい。
さらに日が経つにつれ、家をどうしたいだの、土地をどうにかしないとだの、自分の退院してからの
アグレッシブなプランを語りだした。
母すげぇな。
脚本は「母の話」になっていった。
お盆、一人で父の墓参りに行った。母の健在ぶりを報告し、今父が生きていたら、
あの母をどう見るのだろうと非常に興味がわいた。
脚本は次第に「夫婦の話」にもどっていった。
今回は、家族の話であり、夫婦の話であり、母のお話です。
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